なぜアルとエドは母親の錬成に失敗したのか~「ハガレン」から考える「生命」とは何か?

漫画「鋼の錬金術師」の第一話にこんなセリフがあります。

「水35L 炭素20kg アンモニア4L 石灰1.5kg  リン400g 塩分250g 硝石100g 硫黄80g フッ素1.5g 鉄5g ケイ素3g その他少量の15の元素…」「…は?」「大人一人分として計算した場合の人体の構成成分だ」「今の科学ではここまで判ってるのに実際に人体錬成に成功した例は報告されていない」 -鋼の錬金術師第1話 二人の錬金術師

人体の組成はわかっているのに人体錬成はまだ成功していない。

人体の組成はわかっているのに人体錬成はまだ成功していない。

この漫画の舞台は錬金術師が活躍する世界。主人公の兄弟エドとアルが扱う錬金術とは、ある物質の構成や形を変えて別のモノに変換することのできる能力です。例えば錬金術を使えば壊れたラジオも一瞬で元通り。

鋼の錬金術師第一話「二人の錬金術師」 壊れたラジオもほら、この通り

鋼の錬金術師第一話「二人の錬金術師」
壊れたラジオもほら、この通り

この世界の錬金術はちょっと変わっており、無から有を作り出すことはできません。これを「等価交換」の法則と呼んでいます。つまり、金の元素がないところから突然金を創り出すことはできないし、何もないところからラジオを創ることもできません。

アル(でかい鎧のほう)の奇妙な姿には理由があります。この兄弟は幼いころに失くした母親を生き返らせようと、錬金術師にとって禁忌である「人体錬成」を行い失敗してしまったため、その代償としてアルの肉体とエドの左足が失われてしまったのです。そのため、アルのこの鎧は仮の姿です。ちなみにエドの右手と左足は義手と義足です。

まあフィクションなので、実際錬金術なんて非現実的なのですが、この漫画の設定には非常に興味深い点がいくつか隠されていると思います。今回の記事は、鋼の錬金術師の死生観を考察しながら、僕がなぜ合成生物学脳科学に興味を持っているのかを紹介するという非常に個人的なものです。少々お付き合いください。

 


なぜエドとアルは人体錬成に失敗したのか


冒頭に引用したセリフから分かるように、現在の科学では人体の構成成分や体の構造(臓器の位置や機能)はおおよそ知られています。つまり物質の構成成分とDNAのような個人に特有な情報がそろっていれば理論的には錬金術でエドとアルの母親は生き返りそうなものです。

エドとアルもそのように考え、人体錬成は禁忌だとは知りながら、母親を復活させるために錬金術を一生懸命勉強します。そしてついにその日はやってきます。しかし、完璧な錬成理論と母親のDNAから錬成されたものはとても人の形をなしておらず、その髪や肌の色は母親と似ても似つかないものでした。

鋼の錬金術師第二十六話「叩け 天国の扉」 弟の肉体と自分の片手足を犠牲にして行った人体錬成で、母親に似たものさえ創ることができませんでした。

そこでエドは「そうだ。死んだ人間はどんな事をしても元には戻らない。これは真理だ」と気づくのです。

本編の中には、人間は魂と精神と肉体からなる、という説明があったので、肉体だけを再構築しても死人は生き返らないと解釈できなくもないですが、錬成したエドとアルの母親は人間の形を成していないことと、髪の色も別人のようであることから、肉体すらもうまく再構築できていないようにみえます。なぜこのように人体錬成は成功しないのかについて、本編の中では明確な記述は見当たりません。(自分はハガレンマニアではないので、どこかに明確な説明があるかもしれません)


 人間は創ることができるのか


僕は別に人間が創りたいわけではありません。しかし誰でも一度は考えたことがあるであろう「生きてるってなんだろう」という問いに興味があります。調子が悪くなったラジオは接触を直したり、部品を交換したりすれば元通りに動きだします。粉々に壊れても、壊れた部品を買ってまた一から作り直せばいいだけです。しかし、病人は治せても、死んだ人間は生き返りません。部品はわかっているのに。

20世紀に生きた、非常に著名な物理学者のリチャード・ファインマンはこんな言葉を残しています。

「What I cannot create, I cannot understand. 私は自分に創れないものは、理解できない」

僕のような機械音痴は、調子の悪いラジオの接触を少し良くしたり、電波の良いところに移動したりすることしかできません。しかし、ラジオの仕組みをちゃんと理解している秋葉原の店員さんは、ラジオが粉々に壊れても、必要な部品を買ってきて新しくラジオを創ることができます。

つまり、究極的には「生き物を創る」ことができて初めて本当に「生きているとはなにか」を知ることができるのです。近年このように、生命現象や生命システムをデザインして創ることで生命を理解するアプローチを含む合成生物学(synthetic biology)という分野が注目されています。ただ、合成生物学は、このような創ることで生命を理解するアプローチだけでなく、ここでは触れきれないほど幅広い分野を指す言葉であることに注意してください。

僕はこの生命現象をデザインして創るアプローチに興味があります。今後、6種類の塩基を持つ大腸菌の話や、iPS細胞から臓器や組織を創る話を紹介したいと思います。

 


 精神は物質に還元できるのか


ラジオはどんなにバラバラに壊れても、錬金術で直せます。でも人間は?ちなみに漫画の中では医療に連丹術(錬金術のようなもの)が使われています。このように人間でも一部なら再構成しても問題なさそうです。人体錬成のリバウンドで片手片足失くしたエドが義手と義足をつけてもそれはエドです。

鋼の錬金術師第一話 エドの名台詞。「降りて来いよド三流 格の違いってやつを見せてやる!!」

鋼の錬金術師第一話「二人の錬金術師」
エドの名台詞。「降りて来いよド三流 格の違いってやつを見せてやる!!」オートメイル(機械鎧)の手足でもエドはエドです。

何を言っているかピンと来ないかもしれませんが、じゃあエドの首から下をすべて機械でおき替えたらどうでしょうか。例えば、かなり気持ち悪い話ですが、首から上がエド、首から下がアルの肉体をXと名付けてみましょう。Xはエドでしょうか、アルでしょうか。

この問題は精神や魂をどうとらえるかが非常に重要です。精神や魂を実体のないものだととらえてみましょう。その場合、Xにアルの魂が憑りつけば、それはエドではなくアルでしょう。逆もしかりで、エドの魂が憑りつけば、Xはエドでしょう。鋼の錬金術師の本編では、精神や魂をこのように実体のないものとして描いています。例えばエドは、アルの魂を錬成し鎧に定着させました。結果、その鎧は「アル」の人格を持って行動しています。また、グリードがリンの体を乗っ取った時もグリードとリンの精神のせめぎあいの結果、リンの肉体はグリードの人格を主としつつも、奥底にはリンの人格も眠っている状態に落ち着いています。

鋼の錬金術師第一話「二人の錬金術師」 アルは中身が空っぽのただの鎧ですが、魂が定着しているので意思を持って動きます。

鋼の錬金術師第一話「二人の錬金術師」
中身が空っぽのただの鎧も、アルの魂が定着しているので意思を持って動きます。

もう一つの捉え方として、精神や魂はすべて脳の活動に還元できるという考え方があります。科学的に考えれば、魂なんていう実体のないものは信じられないので、すべてを物理法則や化学反応に落とし込みたがるわけです。この考え方で言えば、Xは問答無用でエドであるといえるでしょう。なぜなら、その肉体の脳はエドの脳だからです。

僕はこの後者の考え方に、なんとなく違和感を感じてしまいます。理屈ではなく、感覚的にですが。脳さえ生きていればそれはその人と認定していいのでしょうか。自分のアイデンティティーって脳だけに宿っているのではなく全身ひっくるめてすべてに宿っているとは考えられないでしょうか。

でも一方で、精神や魂がすべて脳の活動に還元できると考える矛盾した自分もいます。好きな人としゃべって心臓がバクバクするのは、脳が状況を認識して心拍数を上げろと指令を出しているのでしょう。怒りではらわたが煮えくり返るのも結局は脳からの指令でしょう。心霊現象も脳の暗示か何かでしょう。そう考えるのが現代の科学では自然です。でも実際には、脳の機能は今だに謎ばかりで、どのように意識を生み出しているのかも全くわかっていません。そこで僕は本当に脳が精神活動のすべてなのかが知りたくて、脳科学の研究に興味があります。オプトジェネティクスに加えて脳全体の構造を可視化する脳の透明化技術なども今後紹介していきます。

合成生物学も脳科学もまだまだ発展途上です。正直言うと僕の生きている間に人間が創られたり、脳の活動が完全に理解されたりすることはないかもしれません。でもそれらの成果から「生きてるって何だろう」の問いの答えの一端はつかめるかもしれません。

 


終わりに


最後にもう一つ漫画からの引用を

エド「だって、おめー。生命の誕生だぞ!?」「錬金術師が何百年もかけて今だなしえてない『人間が人間を創る』っていうことをだな!」「女の人はたったの280日でやっちゃうんだぜ!?」

ウィンリィ「生命の神秘をカガクと一緒にするなんてロマンが無い!」

エド「う!!しょーがねぇだろ、職業柄よぉ…………うん。でもやっぱりすげーよ。人間ってすげー!」 -鋼の錬金術師第19話 あんた達のかわりに

うーんエドいいこと言いますね。やっぱり人間、というより生き物って本当にすごいと思います。たった一つの受精卵が、おなかの中で立派な赤ちゃんに育って産声を上げる。そんな奇跡が今この瞬間も世界のそこらじゅうで当たり前のように起こっているのです。

その生命の神秘もカガクで説明できるときがいつか来るのでしょうか。その神秘を知りたいと思いつつも、知ってしまった暁にはエドとアルのように、人類も何か大きな大切なものを失う危険性があるのかもしれませんね。

ドラゴン

ドラゴンの記事を読む (↓おまけも是非!)

 


短いおまけ的なもの


人間の知りたいという欲望は罪深いものです。その果てしなき欲望が兵器を生み環境汚染を引き起こしています。人間が知的好奇心で開発している人工知能もかなり危険です。数十年後には人工知能が人間を支配する側になっているかもしれません。しかし、人間は知りたいという欲望を止めることができません。せめてものあがきは、科学の危険性をしっかりと認識しそれを議論することのできる土壌をつくることなのではないでしょうか。途中でも触れたように、合成生物学や脳科学の研究はまだまだ発展途上ですが、いずれもっと発展すれば必ず一線を超えないように規制が必要になってくると思います。そんなときに何も分からず、ただ成り行きを見守るばかりではつまらないと思いませんか?

Palpunte.comが将来もっと大きくなり、科学者と非科学者が同じ目線で議論できる場になれば面白いですね。ということで、この記事に限らずコメント大歓迎です!どんな些細な疑問、感想でもどしどしコメントください!ただコメントに返信してもコメントしてくれた人へ通知が(たぶん)行ってないので、その改善策は現在検討中です。

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追記

神経科学学徒さんからコメントをいただき、本文の該当箇所を修正しました。ありがとうございます!

投稿者プロフィール

ドラゴン
ドラゴン
4月から博士後期課程1年生。工学部で生命科学の研究をしています。
化学・生物全般に興味があります。

なぜアルとエドは母親の錬成に失敗したのか~「ハガレン」から考える「生命」とは何か?」への2件のフィードバック

  • いくつか気になったので書きますが、まず合成生物学は、普通はこの文章で言われているような内容だけではない(むしろ本流)ので、この説明は合成生物学について誤解を与えかねないと感じます。
    脳の透明化技術が可視化するのは、脳の機能ではなく構造だと思います。
    「人工知能の研究は、脳を創って理解するアプローチの一つ」では必ずしもないと思います。これは人工知能の定義にもよりますが、この記事の読者として市井の人々を想定しているのであれば、一般的なニュースなどでいわれる人工知能は、脳を作って理解することそのものを目指しているのではなく、脳の持つ機能を実装することを目指しているのではないでしょうか。

    • 非常に有り難いコメントです。
      ご指摘の部分は訂正しておきます。多数の人に読んでもらう記事ということで、注意を払ってきたつもりでしたが、こうみるといろいろと誤解を招きかねない表現がありますね。今後一層気をつけなければならないと、気を引き締める次第です。

      合成生物学については、現状様々なアプローチがあり、自分の言及したのはその一部だと認識はしていて、そう書いたつもりでしたが、読み返すと確かに誤解を招きかねない表現だったと思います。
      透明化については、もちろん脳のネットワーク構造も見ることもできますが、透明化後もタンパク質は保持されていて脳内の反応も(ライブではないけれど)可視化することができるのでそのイメージで書いていました。
      ただ、おっしゃる通りなにを可視化できるかといえば、それは脳の構造ですね (すくなくとも機能ではないですね)。ご指摘ありがとうございます。
      「人工知能の研究は、脳を創って理解するアプローチの一つ」という書き方もたしかによくないですね。おっしゃってることはその通りだと思います。
      その上で、人工知能についてはあまり詳しくもないのですが個人的には、高度な人工知能をロボットなどに実装することで、「人間らしいロボット」が当たり前になれば、すごく省エネで、よく忘れ、よく勘違いをする人間の脳の情報処理の原理やその利点みたいなのがわかるのかなー、と妄想したりしています。

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