アホウドリの住む島で(前編)

朝、目が開いた。

それは目を覚ますというよりも「開いた」という方が適切なくらい、睡眠と覚醒の境界をはっきりと踏み越えた目覚めだった。

雨が途切れることなくテントを打つ音が聞こえる。

それは睡眠状態にあった僕の意識をとん、とんと目覚めの方へと急かした音だ。

そして目の前にはパンツ。一昨日テント内に干したパンツがぶら下がっているのが見える。

まだ湿ったパンツ。 1月12日朝6時。 ・・・モニタリングに向かう準備を始めなければいけない時間だ。

テント

僕は大きなガジュマルの木の下に設置された6つのテントのうちのひとつから這い出し、キャンプ地を出てモニタリングサイトへ向かう道のりを歩き始めた。

険しい傾斜は雨のせいで泥となり崩れやすく、背の高さに生い茂ったやぶの低木は水滴のついた枝で僕の頭を容赦なくひっぱたく。

やぶを抜けると岩肌がむき出しになった丘陵地が続き、雨風が僕の体を前後左右から襲い、バランスを奪う。こらえられず足元の岩にしがみつくと、眼下50mほどに荒れた海がむき出しの岩壁をうつのが見える。

僕は立ち上がってレイン・ウェアのフードをつまむと、深くかぶり直して進み始めた。

モニタリングサイトまでの道 晴れてるとめっちゃ気持ちいい

30分の道のりの後、北西の海に面して開けた見晴らしのいい崖の上に出た。

視界のはるかむこうまで海が広がっている。雨は少し弱くなったみたいだ。

膝の高さぐらいまで育った草原に立ち、その海の手前側に見える半島の上の繁殖サイトに向かって双眼鏡を覗いた。そこには白や黒の塊がぽつぽつと散らばっている。

1,2,3… 4羽だ。

僕は折り畳みのイスを開きそこに腰かけて記録シートを出す。シートを風で飛ばされそうになりながらも、僕は双眼鏡を覗いては鉛筆でそこに記録を書き込んでいった。

 

風が強くなり、雨がシートを濡らしはじめる。

僕は体を覆いかぶせるようにして記録を続ける。B2に1羽、B4につがい、・・・

 

しばらくすると後ろからプロジェクトのリーダーがやってくるのがわかった。遠くから何か言っているが、風の音に消されて聞こえない。

リーダーは僕の隣に座りこう言った。今日のモニタリングは中止だ。

中止…

 

「てか、基本雨の日は行かないから。勝手に出ていくからびっくりしたよ。もうちょっとしたら戻るぞ。」

 

 

「あ、そうっすね。すいません。」

 

僕のクールなモニタリングはちょっと怒られて終わった。

僕が黙って勝手に雨の中フィールドに出ちゃったのは、たぶん、前日に村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでたせいだ・・・

 


前置きが長くなりました。はじめまして。ばん・ぶーです

僕の専門は生態学で、「生き物がどうしてそこにいるのか」、「どうしてヒトの手によって生き物が失われていくのか」といったことに興味があり研究しています。

今年の一月初めから10日ほど、小笠原諸島の父島(二泊)と、聟島(七泊)という無人島に滞在していました。(船中二泊)

そこでは東京都や研究所がアホウドリの繁殖地移動プロジェクトを行っていて、そのプロジェクトのモニタリング活動に参加してきました。

ひょっとしたら、つい最近のこのニュースを見た記憶があるという人もいるかもしれません。まさにこれに行ってました。

移住のアホウドリ、初の子育てを確認 小笠原・聟島

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実はアホウドリという鳥(ピンクのくちばしをもち、ベージュがかった白い大きな鳥)は一度人間の乱獲によって絶滅しかかっており、このニュースはその保護、復活にむけた取り組みにとって大きな一歩であり、人類初の大成功と言えるものでもあるのです!

それではその大きな一歩について、アホウドリってなに?というところから僕の体験談も含めて紹介していこうと思います。


「アホウ」ドリ


 

アホウドリという名前は皆さん聞いたことがあるかと思います。何しろ特徴的な名前です。なぜこのような不名誉な名前を付けられてしまったのでしょうか。少なくとも僕だったら嫌です。

先ほど少し触れたように、アホウドリは一度「絶滅した」と報告されました。

それほどまでに個体数が減ってしまった過去があるのですが、江戸時代、明治時代ごろには伊豆諸島南部にたくさんのアホウドリがいたことが記録されています。南の海の上空に膨大な数のアホウドリが飛び、その姿が海の上に白い柱を立てたように見えたため「鳥柱」と表現されたこともあるようです。

それほどたくさんいたアホウドリが「絶滅した」と考えられるほど減少した理由は、「人間による乱獲」です。

アホウドリは海鳥の仲間で、一年の半分以上を海の上で生活するため、時には海面に下りて休むのですが・・・

「海面で休む?!?!」

そう。

アホウドリをはじめとする大型の海鳥は水に浮くことができ、その羽は体内から分泌するオイルの影響もあって水をはじくのです。

僕も近くでアホウドリを見ましたが、その表面はとてもてかてかツヤツヤでした。どれくらいてかてかでツヤツヤかと言うと、活動の一環でデコイという模型を設置するのですが、模型よりも模型っぽいぐらい。。(自分でも何言ってるかよくわからない。)

右下に倒れているのがデコイ。 黒いのはヒナのデコイ。完成度高い。

下で倒れているのがデコイ。黒いのもヒナのデコイ

その防水力を持つ羽を目当てに、人間が乱獲を始めました。何しろそれほどの高機能できれいな上質の羽毛です。アホウドリは次々と捕まえられ、殺され、布団にされました。

しかしアホウドリも「鳥」です。そう簡単に捕まるはずはないのですが、・・・捕まります。捕獲者ひとり一で日100~200羽も殺したという記録もあるようです。

なぜでしょうか。僕がある日突然鳥を捕まえろと言われても、一匹も捕まえられる気がしません。あ、上野公園のハトならいけそうだけど。

実は、アホウドリが簡単に捕まったのも上野公園のハトと同じ理由です。彼らは人間が近づいてもほとんど逃げないのです。

海鳥は陸上では動きが遅く、また彼らが進化を遂げてきた環境で天敵に出会わなかったため、危険が近づいても逃げるという反応をできなかったのです。

実際、僕がアホウドリの仲間(クロアシアホウドリ)のすぐ近く(1mぐらい)を通っても微動だにしません。(すげーこっち見てくるけど)

すごく近い。こっち見てくる

すごく近い。こっち見てくる

人間が羽毛を得るために捕まえようとしても、逃げずにいとも簡単に捕まってしまう。そんな彼らの姿は人間からしたら格好の金づる、まさに「アホ」でしょう。

アホウドリという名前は単に不名誉な名前であるだけでなく、彼らの悲惨な過去を表してもいるのです・・・。

 


絶滅…?? 復活?!!!


 

1933年にはアホウドリの狩猟が禁止されますが、その後個体数がどうなってしまったかは第二次世界大戦もあり記録からは分かりません。

そして大戦後1949年にアメリカの鳥類学者が伊豆諸島で調査を行った際にはアホウドリは一匹も観察されず、「絶滅した」と発表されました。

しかしその後にわずかに生き残っていたのが発見されました。

それがアホウドリの保全活動のスタートで、現在のアホウドリの繁殖地移動のプロジェクトにつながっています。

その後のアホウドリの復活と再導入の取り組みについてはまた次回にしましょう。

それでは!

ばん・ぶー

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